こんにちは。
月額990円で見逃した番組をNHKオンデマンドで見れるなら、月額1310円で見逃しっぱなしのNHK受信料はもったいないなーと思うmjunです。
はい、
今回は、オリラジの中田さんのYouTube大学を見て考えてしまったことです。
落語の回です。
オリラジ中田さんのYouTube大学は、オリエンタルラジオの中田敦彦さんが歴史や経済、宗教など、みんなが関心はあるけどなかなか知れてないことを、何冊かの本をもとに毎回、わかりやすく説明してくれるチャンネルです。
詳しく勉強するきっかけを作ってくれると好評でチャンネル開設からすぐにチャンネル登録者数100万人をこえてしまう人気ぶりです。
あっちゃんかっこいいー!(ちなみに僕はオリエンタルラジオ中田敦彦のオールナイトニッポンpremiumリスナーでした)
で、最近落語の回があったんですね。
立川談慶師匠の「教養の落語」という本をもとに、落語の歴史や背景、他の演芸、との違い、落語のあらすじなどを説明している動画です。
人のネタを使うことへの違和感について
あらすじまで話しちゃうの!!
僕の感想です。
あらすじを話すことには違和感をもってしまいます。
- 人の商売道具を自分のコンテンツにしていいの!?
- それは落語家の落語見ればいいことじゃん!
こんなふうに思ったからです。
メディアを変えて人のネタを使う
ちなみに落語の予備知識を話すことには違和感はありません。
確かに落語の予備知識も人のネタだし、本を読めばいいことではありますが、本は文字でありYouTubeとはメディアが違います。
文字⇒動画という変換を中田さんがしてくれているという点で違和感がないのだと思います。
だけど、落語のあらすじの場合は、本編をちょっと短く切っただけであり、話してしまったらそれはもう落語です。
だから「作る」という視点で、中田さんを介していなくて、ほぼ真似しただけなので違和感をもってしまうのです。
楽しませるポイントを変えて人のネタを使う
歌ってみた動画のようにネタ自体を作っていない動画もあるからいいじゃん
こうも思ったのですが、
歌ってみた動画の場合は「知っているもの」を「知らない人」(もしくは「知っている人」)が歌うので「違う人がやるとどうなるか」というネタの内容よりも人を楽しむ動画です。
今回の落語のあらすじの場合は、基本的には落語を知らない人のため動画です。
だから「知らないもの」を「知っている人」(オリラジ中田さん)がやるので、どうしても「どんな話?」というネタの内容を楽しむ動画になってしまいます。
そのため、歌ってみた動画のように人を楽しむ動画だからネタの内容を真似してもいいじゃんとはならないのです。
落語は同じ話を違う落語家が演じる、そこを楽しむ演芸だからあらすじを説明してもいい、むしろした方がいいという理由で、中田さんは動画の中であらすじを説明し始めていました。
しかし、落語のネタの内容も落語を楽しむ要素の一つなわけで、それを落語家でない中田さんが先に奪っちゃうのはなんか違うと違和感をもってしまうのです。
知らない曲をはじめて聞くとき、スナックで居合わせたおじさんの歌より本物の歌手の歌のほうがやっぱりいいと思うのですね。
ネタは使わせる時代、ネタの内容に頼れない時代
結論から言うと、この違和感がめちゃくちゃ邪魔です。
動画のコメント欄を見ると、落語家の人からの「落語を知るきっかけ、お客さんが見に来てくれるきっかけを作ってくれてありがとうございます」というコメントがあるのですね。
結局、人は「知らないもの」を知るためにお金を払いません。
特に今はSNSで口コミ情報、タダ情報がいっぱい溢れているので知ることにお金を払わない。
だから寄席に行ったら落語の面白さがわかるでは寄席には行きません。
寄席に行ったらこんな面白い話をやるという情報を知って、やっと寄席に行くか考えます。
だから、ネタの面白さに頼らないで満足させられるようにならないといけないみたいです。
「珍しきは花」の「秘すれば花」は通じない?。。。
考えが超古い、頭が固いー。。。
あんな違和感を持っているから僕はダメなのかー
前回の「ブログを続けるための対策を考えた話」と結論が同じだと気づいたけど今回は自分へのダメージも感じる今日この頃です。