こんにちは。
もりじゅんといいます。
今回は前の続きで風姿花伝についてお話したいと思います。
「花伝第七 別紙口伝」についてです。
面白いを知るためにはお花先輩を見よ!
一、この口伝に花を知ること、まづ仮令、花の咲くを見て、よろづに花と譬へはじめし理をわきまふべし。
「花伝第七 別紙口伝」の始まりの文です。要は
- この口伝は花とは何か知ることを目的とするよー、
- 花が咲くことはすべての道理のたとえだからねー。
と言っています。
これ以降、「花は○○だから○○も面白いよね」みたいなのが続いていくんです。
僕は最初読んだとき、「花でたとえてもっともらしく説明しているけど・・・なんで急に花なの?」
と疑問で仕方ありませんでした。それまでの章でもしれっと「花」という言葉は出てくるのですが説明はありません。
世阿弥先生は、ここで初めて本腰を入れて「花」について説明してくれるのです。
でも、なんで花なのでしょう?、僕の解釈では、あれです。
尊敬する人、あこがれの人は徹底的に分析して真似しよう!!の試みです。
男の子なら長渕剛に憧れて焼酎でうがいしたことが誰にでもあるはずです。
木村拓哉派の人は、茶色いダウンを買ったことでしょう。
女の子なら浜崎あゆみのごとく豹柄を全身にまとったはずです。
そう、あれなんです。
世阿弥先生は当時、日本で一番面白い人、うけている人ってだれ?
って考えた結果、「花」にたどりついてしまったのです。
世阿弥先生ほどの人になると、もう自分より面白い人はいなかったんですね。
確かに「花」がすべってるところは2019年でもそうお目にかかれませんので
室町時代のキング・オブ・オモシローイが「花」だったのは納得できなくもありません。
だから「花」ってなんであんなに面白いの?って分析して
みんなー、花先輩のここ真似ようぜ!
花=面白いだからさ!!
と風姿花伝で伝えてるわけです。
「珍しきは花」説
花がなんであんなに人の心を虜にするのか?
なんで花がうけるのか?すべらないのか?
この疑問を考えた世阿弥先生はいくつか説を思いつきます。
その一つが
「珍しきは花」説です。
簡単に言うと
花は年一でしか咲かない。だからみんなにとって珍しくて面白いんじゃない?
ってことです。
みんな何故あんなすごい一生懸命に桜を見に行くのか
って春にしか咲かないという珍しさからなのでは・・・
確かに一理あります。
逆に年中咲いてたらあそこまでではないはず。少なくとも写真まで撮りません。
だから「珍しきは花」
面白い=花=珍しい なのです、
世阿弥先生は珍しいを探ることで面白いの作り方も考えます。
心と身体は逆の写実。 これも 珍しい=面白い
一、物まねに、似せぬ位あるべし。その物にまことになり入りぬれば、似せんと思ふ心なし。さるほどに、面白きところばかりをたしなめば、などか花なかるべき。
前の章で世阿弥先生は
いい演技とは対象を忠実に写実することだよ。強いとか幽玄とかはその結果だよー。
と言っています。
そして、忠実な写実からも珍しいが生まれます。
忠実な写実を心的な写実と身体的な写実の二点から見てみます。
心的な写実とは、その対象の気持ち、心の中で思っていることを写実することです。だから実際の行動にはそのままその心が写るとは限りません。
一方、身体的な写実は、心の中で思った結果、その心とは別としてあらわれる行動ありのままの写実です。
たとえば老人を演じるとき、実際の老人を真似て、腰を曲げたり、動きやしゃべりをゆっくりすると思います。
この動きの真似は身体的な写実です。
では心的な写実はどうなるでしょう?
もちろんその老人にもよるのですが、わざとゆっくり動いてやろうと思っている老人は少ない気がします。
むしろ年寄り扱いされたくないから、あんまりゆっくり動かないように、腰も曲げないように、と思っている老人のほうが多いのではないでしょうか?
つまり、身体的な写実は心的な写実の中身とは真逆なこともあるんです。
これって珍しくないですか?
そのため、忠実な写実は真逆の要素を混在させるので珍しく、面白くなるんです。
秘すれば花なり
「珍しきは花」説・・・・・珍しい=花=面白い
またまたこの法則から生まれたのが
「秘すれば花なり」です。つまり
珍しいを作るためには秘密にしておくことが大事だよー、だから秘密から面白いも生まれるよー
と世阿弥先生は言ってるんです。
しかも、その内容よりも秘密にしておくこと自体の方が大事なんです。
世阿弥先生は風姿花伝を自分の一族が大和猿楽の一家として生き残るための秘伝の書として残しています。
中身は誰にも伝えてはいけません。
これも「珍しきは花」という内容よりも
「珍しきは花」を秘密にしてあることが大切だということです。
「珍しきは花」とお客さんが知っちゃうと
なんか珍しいことやるんだなー・・・
って予測がつくので珍しくなくてうけないのです
だから 秘密=珍しい=花=面白い です。
因果の花
今度は「花」について戻って考えます。
一、因果の花を知ること、窮めなるべし。一切みな因果なり。
「花」には因果の道理があります。
つまり、原因と結果があります
「花が咲くこと」が結果で、「種をまくこと」が原因がです。
だから、花=面白い を作るためには種が必要になります。稽古だったり、アイデアだったり、面白いには原因があるのです。
男時と女時
原因がタイミングのときもあります。
花が全然咲かない年はだいたいが前年に花が盛んに咲いています。
木が花を咲かせる養分を使いすぎて、樹勢を回復させることに力を使っています。
専門用語だと生殖成長(花)と栄養成長(樹勢)ってやつです。良い花を咲かせるためには、栄養成長と生殖成長のバランスが大切です。
なので面白いときがあるってことは何やっても面白くないときもあるんです。
世阿弥先生は
面白いときを男時、面白くないときを女時と呼んでいます。
花のように女時にしっかり力を蓄えることが大切だよー と世阿弥先生は言っているんです。
まことの花とは
原因が場所や人の好みのときもあります
結局、いくらきれいな花でも人の好みが違うのです。
日本では桜が人気ですが、中国では梅や桃の方が人気です。
逆に日本で梅や桃を飾ると珍しくて面白いかもしれません。
このように場所や人、そしてタイミングによって珍しいは何か熟考して変化させていくことが本当の面白いをつくるんだぞー。
と最後に世阿弥先生はまとめています。
室町時代にここまで面白いについて追及していたとは世阿弥先生には頭が下がるばかりです。
家伝を花伝と書くことがとても粋に感じます。