こんにちは。
最近、YouTubeの女の子にふられた男がサプリで変身する広告動画を終盤まで見てしまうもりじゅんです。
はい、
今回は、「自分あんまり面白くないなー」と思えてきたのでお笑いの基本と言われる「緊張の緩和」について勉強したことを書きたいと思います。
「緊張の緩和」って?
Mー1グランプリの批評とかお笑い語る人とかからよく耳にする「緊張の緩和」。桂枝雀師匠が発見した笑いの原理です。
ぼくは今回勉強するまで「緊張と緩和」だと思ってました。僕は大学生のときに某お笑い事務所の養成所の授業を受けたことがあるのですが(半年で辞めました)、その授業では「緊張と緩和」とは笑いの基本の一つだと教えてもらいました。
たとえば、コントの設定を考えるとき、「葬式」と「結婚式」だったら「葬式」のほうが面白くなりやすいよ。
なぜなら、「葬式」のほうが緊張感があって緩和しやすく、笑いにつながりやすい。「緊張と緩和」だから。
こんな感じの授業でした。
だったら、ふざけている人が急に戦争とか生命の神秘について話すと笑ってしまう「緩和と緊張」もあるかなー
こんなことをこの授業から当時の僕は考えたりしました。今から思うと、素直で、応用まで考えるタイプの学生さんですね。
でも、最近になって疑問が生まれました。
枝雀師匠って「葬式」の落語やってたっけ?
Amazonで枝雀師匠のDVD、CDを調べてみても「葬式」が舞台の落語なんてやってないですね。(僕の勉強不足だったらすいません)
枝雀師匠以外でも「葬式」が舞台の落語が思いつきません。(短命とかですかね?なんか違う気がする)
いやいや葬式が舞台でなくても緊張感のある設定ってことだよ!!!
と思う人がいるかもしれません。
じゃあ枝雀師匠の落語で緊張感がある設定の落語ってなんでしょう?
どうしても納得できる答えがでなかったので、ちゃんと枝雀師匠自身が「緊張と緩和」について語っている本を探して読みました。
らくごDE枝雀(著:桂枝雀 ちくま文庫)という本です。
らくごDE枝雀
読んだ感想を簡潔にまとめます。
- 桂枝雀、やっぱりすごい。
- 「緊張と緩和」ではなくて「緊張の緩和」じゃん!!!
- 某お笑い事務所の養成所に来る作家先生なんてあてにしてはいけないなー
桂枝雀、やっぱりすごい
枝雀師匠は人間が面白いと感じる事象を4つに分類しました。
- 変なこと(知的)
- 他人のちょっとした困り(情的)
- 緊張の緩和(生理的)
- 人が忌み嫌うこと、エロいこと(社会的、道徳的)
全てにあてはまるのが、生理的な「緊張の緩和」と発見したわけです。
変なことに笑うときは、変なことを聞いて少し緊張を感じる。「それ違うだろ」と誰かが突っ込んだり、その後の展開で「そういうことね」と納得したりして緩和して笑う。
他人のちょっとした困りに笑うときは、他人にちょっとした不幸が舞い降りたときに緊張を感じて、それに対するリアクションに納得したり、普通の状態に戻って安堵したりで緩和して笑う。
人が忌み嫌うこと、エロいことに笑うときも、それぞれのことを受け取った時に緊張して、「それはいけないだろ」と誰かが突っ込み普通の状態に戻されて緩和して笑う。
確かに「緊張の緩和」で説明できます!!
「緊張の緩和」だけ視点が違うのがポイントです。
他の知的や情的、社会的な事象は笑う側でなくて笑わせる側の視点からの事象だけど、「緊張の緩和」は生理現象であり、視点が笑う側なのです。
だからすべて「緊張の緩和」で説明できてしまう。
落語のさげの分類について話すときも枝雀師匠は言ってるのですが、本来、世の中のものを分類するときは視点を揃えないといけない。
だから、4つの分類は間違っています。その間違いを認めたうえで、「でも、視点が違うから全部についてあてはまるがなー!」と笑いの原理を発見してしまうから桂枝雀、すごい!!。
「緊張と緩和」ではなくて「緊張の緩和」じゃん!!!
つまり、「緊張の緩和」とは人間が笑うという生理現象の中で起こってる行為のことなんですね。「緊張してそれが緩和する」という。
あくまでも緩和してそれが緊張するという行為ではない。枝雀師匠は断言してます。
だから、「緊張と緩和」の並列(緊張&緩和)ではなくて「緊張の緩和」の順列(緊張→緩和)の方が的確でわかりやすいです。
某お笑い事務所の養成所に来る作家先生なんてあてにしてはいけないなー
でも、最後に緊張するけど笑えるものってあることない?
僕も最初は思いました。
でも、これは材料の質が緊張であるだけみたいです。
たとえば、枝雀師匠のSR(ショート落語)。
「あっ!お母ちゃん流れ星!」
「さ、今の間に願い事を言いなさい」
「1日も早くお父さんに会えますように」
「そんなこと言うものではありません。お父様には私たちの分まで長生きしていただかなくっちゃ」桂枝雀のショート落語より
最初、星に願い事をする親子のほのぼのしていた話(緩和)だったのが、実はこの親子は死人だったという怖い話(緊張)だったという印象を受けたかもしれません。つまり、緩和から緊張のパターンのように見えます。
ただ、これは話の内容が持つ性質のはなし。
聞き手側の視点からだと、最後の一行「そんなこと言うものではありません」で「どういうこと?」という変や忌み嫌うことの緊張、
「お父様には私たちの分まで長生きしていただかなくっちゃ」で「死人だったのかー」の理解したときの緩和が起こっています。
だから、あくまでも緊張してから緩和しています。
「緊張の緩和」の「緊張」や「緩和」は、話の内容、材料が持っている性質の「緊張」と「緩和」とは違うのです。
だから、冒頭の某お笑い事務所の養成所の先生が話していた「葬式」うんぬんは全くお門違いのお話ということになります。
(テクニック的には合っているかは知りません。「緊張の緩和」の説明としては間違っています。)
もちろん笑いの基本の一つでもありません。笑いの原理、大本です。
何十万円とお金をもらっている授業でも間違って情報を伝えることや違う解釈で話してしまうことってあるんですねー。
金返せとかそんなこと言いたいわけではありません。
そんなもんってことです。
- 本当に知りたい情報ならできるだけ間に人を介さずに直接情報を得た方がいい。
- 実際に見たものから信頼度の優先順位を上げた方がいい。
と思った今日この頃でーす。